クラシック音楽を学んで感動したこと
現代作曲家の先生にクラシックのピアノを教わって、もうすぐ一か月が経ちます。
内容は主にハノン1~20、ツェルニーを17から順番に練習しています。
しかし、ピアノを教わっている時間はレッスンの3割程度。
他の時間は音楽史、作曲家の意図、音楽理論のパラダイムなどです。
これらの説明を踏まえた上で譜面の読み方や技法を学びます。
そして、譜面を開き、ピアノで音を出すことで、音楽という芸術が人の意思によって作られたことを体験する瞬間が訪れます。
芸術とは何か。
それは美を意図的に切り取るものだと思っています。
その美しさを表現するために音楽家たちは様々な工夫をこなしてきました。
その歴史が譜面として残っています。その譜面の奥深さはジャズやブルースをルーツにする音楽を学んできた自分にとって衝撃でした。
ジャズやブルースをルーツにする音楽では、譜面に表現するのが難しいリズムのハーモニーが最も重要な土台になり、譜面というのは簡略化された記号です。コード、小節数、セクションの位置を確認できれば、大抵の定型文で再現可能です。
逆にクラシック音楽では、譜面の1つ1つの音符や指示が作品のすべてを形作ります。
1つの音の表現の幅広さ、ハーモニーの精巧さは比べ物にならないほど、美を表現することに貪欲です。
詩で例えるなら、
もう一度探し出したぞ。
何を? 永遠を。
それは太陽と番った
海だ。
というランボーの詩にアクセントの付け方、間の置き方、声の大きさ、活舌の度合いなどの注釈が細かく書いてあるようなものです。そして、それを再現するための技法を身に付け、精錬された表現を可能にした時、この詩は詩人の切り取った美の一片を表現します。
作曲家の意図と真剣に向き合うこと。
そして、そのために多くの技法を開発して演奏してきたこと。
その歴史の積み重ねと今、出会ってしまった。
音楽が表現する美の奥深さにまた気づいてしまった。
この美を表現できるようになるまで、ひたすらこれらを学ぶしかないと思いました。
ということで、毎日ハノンとツェルニーを練習しながら、たくさん採譜して演奏したいと思います。