ソコロフとピアノ
先日、40年前のヤマハのアップライトを弾いてきた。
お世話になってる調律師がリビルドしたもので、弦はフランスのステファン・ポレロに張り替えてあった。
整調、整音を出来る限り行った自信作と言っていた。
弾いて驚いたのは弾きやすさ、音量、響板の鳴りだった。
響板が合唱しているような感覚で、蓋を開けて弾くと耳を通り抜けて脳に直接響いてる感覚だった。
合唱した時に耳にビリビリと来るあの美しい響きがピアノが表現している。
導音が主音に行くだけの旋律でも十分にカタルシスを得られた。
「和声がわかるなら、こう弾きなさい」と響板が諭してくる。
その声を聞きながら、ブラームスのIntermezzo Op.118 No.2を何度も弾いた。
ピアノという楽器は、自分だけじゃ鳴らせないのだと痛感した夜だった。
ピアノは調律師という技師がいて、初めて完成する楽器だった。
ピアノは訓練を続けていれば、ある程度までは弾けるようになる。
ただ、鳴らすための技術を習得するには調律師という技師の仕上げたピアノが必要だった。
調律師がピアノに行う技術介入は、ピアニストが音楽的にアプローチするための障害を限り取り除くこと。
最近、生で聴きたい美しい演奏といえば、ソコロフが筆頭にある。
美しく仕上がったピアノとそれを美しく鳴らすピアニスト。
この二つが共鳴した音楽を聴きたい。