「郵便ポストには手紙が」を読んで
文フリへ向かう電車で読んでいたのは夏目漱石の「草枕」だった。そして、偶然な事に友人が立ち止まったブースに「草枕」の感想が書かれたエッセイがあった。友人のおかげでブースの方々とお話する機会を得た。
母と歳の変わらない女性たちがそこにはいた。「グレン・グールドの愛書だったから草枕を読み始めた」と伝えたところ、彼女達はグレン・グールドを知っていた。表情からバッハの音楽が聴こえた気がした。
母の世代の人たちと文フリという場所で話が出来たのが嬉しかった。それに彼女たちには学がある。身近に学のある母世代の人がほとんどいなかったので、その空気感に少し憧れを覚えた。
前置きはここまでにして、ブログを書く事でこのエッセイが読めた感謝を伝えられればと思う。
文フリでの印象のせいか、このエッセイを読んでいると違う世界の母を見ているようだった。海外での生活も、どこか自信なさげな様子も、それでいて強かに過ごしている様も。ワンテンポ遅れて我が出てくる描写も。
大きな主語になるが、女性はそこに在るものを観測するのが本当に上手い。抽象化される前の情報をしっかりと覚えていて、それを忘れずに文章を通して描写できる。自分のエッセイで書き記した事を振り返ると、この女性らしさが羨ましいし、素敵だと思った。
このエッセイを読みながら自身の男性性に再度気付かされたのも楽しかった。ほとんど嫉妬に似た感情もあって、俺もちょっとした弱みを書きたいし、共感されたい。あわよくば、その些細な弱さを可愛いと思われたいなんて。
そうは言っても、俺は強く見られたい。そんな裏っ返しが自分の文章にはある。
海外での生活を読んでいて、自分の留学時代を書くならどこを書くんだろうと考えた。ルームメイトのマリファナの事や週末のビリヤード、ヘロインでキマったミッチ、リトルトウキョウにいたジョージ・クリントン似のホームレス。あんまり温もりのある記憶が出てこない。
帰国までずっとお世話になったユキさんの話を書けばいいのに自分の弱みが見えちゃうから無意識に選んでない。
ここでも強がりだ…。「俺は男なんだな」と大きな言葉が浮かんでくる。だからこそ、このエッセイに自分の隠している何かを掬いだしてもらえた気がして楽しかった。
最後に、このエッセイが祖母を思い出させてくれた事に感謝したい。だって、記憶の仕方や書き方の視点が似てるんだもの。
祖母(大正12年生まれ)は83歳の時にエッセイを書いた。自費出版で家族に何の相談もなく独断で敢行した。彼女があともう少し若く、文フリを知っていたなら、カキハラさんのように文フリでエッセイを出していたかもしれない。
祖母のエッセイの最後のページには、
「弱虫で自信はないけれど、やりたいことはやった感じです。デイサービスへ行く楽しみを生きがいに今も毎日を過ごしています。」
とあった。
書きたい事は山ほどあるけど、一旦ここまで。カキハラさんのエッセイを読めて良かった。