何かに怒りたいと火種を探し続けている人たちが身近に増えてしまった。火種がどんなに近くにあっても抑えられない人たち。
子供の時に経験したイジメの対象が順番に変わっていくやつ…わかるかな。あの世界の狭さを大人になっても感じている。
怒りについては随分前に繰り返し繰り返し考えた。それが情動発達に起因するとか、1種の媚態なのでは、とか…まぁ色々あるだろう。
インターネットの隅っこでこういう事を言える場所を作っておいてよかった。怒る人ばかりで逆に孤独だ。
結局のところ、距離を置いて広い世界を擬似的に作るしかない。
今日をこんな風に過ごした。
梅の歪な幹を怖いと言いながら、梅の花の可愛さに生死のエロティシズムを感じた。
それからブラームスのクラリネットトリオを何度も聴いた。クラリネットとチェロが混ざり合う大好きな瞬間を目を閉じて手をぎゅっと握って受け止めた。音楽が人生を模倣する瞬間はよく出来た鏡だ。美しい誰かの思い出が音と共に重なり合う。融和した時間が駆け抜ける。
横になってブログを書いていたら猫が懐に入ってきた。今日はここまでにしよう。
読んでくれた人、ありがとう。