先日、先生が「神のピアノを聴こうか」と言って一緒にラフマニノフのショパンを聴いた。
葬送の演奏はたくさん聴いてきたけど、ラフマニノフはずば抜けていた。おれが聴きたかった葬送はこれだった。
初っ端から度肝を抜かれた。おどろおどろしく駆けていく馬。まるで生命にすがりつく心音を再現しているような、そんな駆け抜け方をしている。
第4楽章のユニゾンは吹きすさぶ風だ…葉が枯れて落ちていく運命をなぜ音楽で再現できるのか。
第三楽章は言うまでもない。聴けばわかる。やばい。
音楽の表現の幅はこんなにも広かったのかと。聴き終わった後は茫然とした。これを生で聴いていたらと想像するとゾッとする。
この機会にこの世代のピアニストをもっと聴いてみようと思った。
ショパンで刺さったのはベンノ・モイセイヴィチだった。この人のノクターンは貴族の演奏会ではなく、1人の詩人が綴るものだった。
まだ天井が見えない。少し見えていた天井は雲で、空はもっと高かった。
美しい音楽をありがとう。