今週もまたクラシックと呼ばれる過去の音楽がやってくれた。
レッスンの度に先生と音楽について話し合う。その度にたくさんの曲をピアノで弾いてくれる。
話し合うきっかけは様々だ。
今週のレッスンでは、最初に採譜した曲をプリントして渡して先生の前で弾いた。
採譜した理由を話し、和声的な分析を先生とする。
同じ手法を用いたクラシックの曲で素晴らしい曲があると先生が演奏してくれる。
今週はシューマンだった。
ショパンは先週の月曜日。
先生が弾いたのはピアノソナタ第2番「葬送」だった。
ピアノでしか表現しえない共鳴の嵐が目の前で吹き荒れた。
この曲を知っている人ならわかるだろう。
第三楽章。
吹きすさぶ嵐が止み、見上げた空から差し込む光。
これが死者の昇天であることを。
手が震えて涙がこぼれそうになった。
その後にピアノを弾いても上手く弾けなかった。
こんなに美しく恐ろしい音楽を目の前で弾く人間がいて、かつてこの曲を作った人間がいたということ。
もっと音楽を学びたいと思った。
感動はまだ終わらない。
第三楽章の和声的な説明を受けながら、ピアノで弾いてもらった。
先生のお父さんが使っていた楽譜を説明に使っていたら、巻末にメモがあった。
不滅の四重奏曲
3楽章 good!good!good!
1969.6.22
先生はそれを初めて目にして「親父もよくわかってるじゃないか」と言った。
そして、その楽譜を貸してくれた。
第三楽章を生で聴くことができたなら、涙が止まらないだろうと思う。
この曲を弾く弦楽器たちが空気を震わした時、世界は祝福されるはずだ。
ここ2か月で確信したことがある。
クラシックの曲はスピーカーで聴くことに適していない。
それに関してはいずれ書くかもしれない。
簡潔に言うなら、ルートの移動を控えながら転回形を多用していく表現はスピーカー音楽にとって重要な低音の要素を含んでいない。
スピーカーから聴く音楽の限界はクラシックの和声の美学を表現しきれないことだと思った。
さぁ、今日も美しい音楽の勉強をしよう。