2月15日の夜に調律師の家へ行ってきた。
1960年代の小さなアップライトの試弾の誘いだった。
オーバーホールする前も弾いていたので以前の状態を覚えていた。とても練習に使えるようなものではなく、演奏に支障が出るレベルの状態だった。
ヤマハは本当に良いピアノを作っていると思う。どのピアノを弾いてもヤマハのタッチだし、ヤマハの音がする。ただ今回のオーバーホールで分かったことがある。
今回の見所は鍵盤を押すことで表現できる音の幅だった。調律師の解説でもよいスタインウェイを目指したと言っていた。
鍵盤の押し方で極端に音色が変わる。誤魔化しがまったく効かない。今まで弾いた中でもとんでもないじゃじゃ馬だった。
まるで軽自動車にF1のエンジンが乗ってるような恐ろしい初速で、ピアニッシモを出すには浅く浅くアクセルを踏むような緊張感があった。
1時間ほど弾いた。慣れてくると弾きやすいと気付き始めた。音色の幅が広いため、各声部が歌うのだ。ダイナミクスは小さな楽器だからあまり表現できないが、打鍵の仕方で音色が変わるのであまり気にならなくなってくる。むしろ、必要以上にダイナミクスを作っていたと気付く。
この経験から指への神経の使い方が変わった。背骨から2本の腕が生えていて、肩甲骨から指先までの重さをコントロールすること。これが表現の幅を作ることだと気付かされた。決して指だけで弾いてはいけない。
教室のC5(グランドピアノ)を弾いた時も同じように弾いた。
そう、ここで気づいた。
ヤマハのC5は汚いフォルテッシモが出ない。常に綺麗な音が出るように鍵盤の重さやキャプスタンの形状によって打弦スピードを制御されている。音色の幅が狭く感じる。
これは初心者には優しい作りだと思う。確かにこの補助輪でも表現の幅は作れる。これがヤマハの長所であり短所なんだと気付いた。
でも、これではピアノの性能を生かしきれていない。
ある程度上達した時にこの補助輪を取る必要がある。そう確信した夜だった。