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ドストエフスキーの悪霊

Twitterと距離を置いたら書きたい事が山積みだったと気付いた。

 

昔に友人が「ドストエフスキーの悪霊は自分の話だった」と言っていた。スコセッシの「タクシードライバー」も同じように感じる人がいるかもしれない。

 

中学生の時に「不条理な大人達を許すにはどうしたらいいか」と頭の良い大人に聞いた事がある。彼らの返答は不思議と一緒だった。

 

ドストエフスキーを読みなさい」

 

以前、パートナーに「どうしたら他人を許せるか」と問われた時にこの話をした。不条理な秩序を知って理解する。言葉にすると簡単だけど、この苦しみを乗り越えなければならない。

 

今、中学生の自分に同じ問いかけをされたらもう少し細かく詳細に答えられる気がする。

 

音楽にもドストエフスキーのような作品はある。バッハのコラールの「来たれ、異教徒の救い主よ」は近いかもしれない。

 

Herbert Schuchの演奏が本当に素晴らしい。


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映画「Into The Wild」で「幸福が現実となるのはそれを誰かと分かち合った時だ」という台詞が出てくる。

 

これには悲しみも怒りも含まれると思う。音楽を通して分かち合ってもいいかもしれない。

 

これはもっと悲しい曲だけど、美しい。この音楽を聴いている時、私たちは同じ悲しみの中にいる。


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